専門知識を学ぶ
リラクゼーションセラピストであるAさんは、勤め先の温浴施設で、お客様に付いていない時間帯は、解剖生理学の本を読んでいることが多く、勉強に余念がありません。
しかも、Aさんはそこに一工夫ニ工夫加えることのできる優れものです。本から得た知識を机上の空論に留めず、仲間のセラピストに体を借りて、その得た知識をもとに自分なりに応用を効かせて、練習に励んでいるのです。
そして、理論と実践が合致していることを確認した上で、お客さんに提供するという順序を踏んでいるのです。
このように、座学や理論というのは、実践で活かせた時に意味を持ってくるのです。
かたやBさんの例を取ってみると、Bさんは、専門知識に長け、その頭の中には、解剖整理の内容が学者ばりにあるのです。ですが、、、、テクニックとなると、的が外れているというか、筋肉も筋膜もまともに捕らえることができない状況です。
それでいて、論理的に納得できないと、どこまでも追求して、妥協することを知りません。
これは、明らかに偏った状態です。仮に患者さんに対して、学者ばりの詳しい説明ができたとしても、施術技術がそれに伴うものでなければ、患者さんは、絶対に納得してくれません。
現在、Aさんはリラクゼーションから転身を果たし、1整体師として自院を開業して、集客もリピートもしっかり取っています。
片やBさんは、整骨院でスタッフとして働いてはいるものの、お客さんが付かず、冴えない生活を余儀なくされています。
このように、同じように専門知識を身に付けているもの同士でも、先を見通す力や、全体像を把握しているAさんと、あくまでも自分本位に徹しているBさんとでは、天と地ほどの差が現れてしまうのです。